協力医師(2)医学鑑定と証人尋問

【協力医師(2)医学鑑定と証人尋問】

 体力の限界のため、昨日の更新は休憩。。。忘れていただけなのだが(;^_^A


 医学鑑定には、裁判所鑑定と私的鑑定がある。

 原告や被告の出す医師意見書は、私的鑑定である。

 裁判所鑑定は、原告と被告の双方の同意の下、裁判所が依頼する。

 この裁判所鑑定の結果は、ほとんど決定的な力を持つことになる。原告、被告ともに同意しているために、その意見に従うという形になるからである。
 みんな、これでやられる。もちろん反論はできるが、そんなもんは形式である。


 裁判所鑑定でも、場外乱戦、つまり、法廷外の戦闘がある。
 早い話がインチキだ。内緒で鑑定医師に挨拶に行くのだ。余分な情報を与えて何気ない圧力をかける。これができないようなら、やめたほうが良い。負けます。弁護士の言い訳に使われるだけ。
 それでも、裁判所鑑定は、ひとつの大きな納得の形ではあるので、手がないときは、それも一考である。


 私的鑑定医師(協力医師)は、証人として出廷することがある。
 法廷では、敵側の弁護士にけっこうエグイ攻め方をされる。敵側の弁護士は、あえて怒らせるような質問をして「こんな感情的な人の言うことは信用できない」と印象づけるのである。実におぞましい作戦である。

 証人尋問を終えて、「もう二度とやらない。もう絶対に証言しない」と怒りまくって帰った原告側の証人医師がいた。著名な方だった。善意の出廷だったが、残念なことだった。医学臨床の常識をただ話せばよろしい、という軽い気持ちだったのだろう。
 ところがギッチョン。被告側弁護士からは、被告病院の過誤をかわすため、証人の言葉尻から揚げ足取りのジャブが連打され、肩書から経歴にまで強烈なボディーブローが入る。証人が怒って言葉を荒らげたり、腹を立てて証言が雑になるのを待っているのだ。
 裁判とはそんなものである。それなのに、ただ臨床の正当性や妥当性が議論されるとか、正論が実現されると思っていたのでは、なんじゃ? こりゃ? 俺はこんなくだらない話をするために証言台に出てきたんじゃないわい! となる。
 こんな話が伝われば、みんな嫌がるわね。
 原告側弁護士だって、尋問では徹底的に攻めまくる。「あの嘘つき看護師は泣かすまでやる」なんて作戦を立てる人もいる。


 証人を出す出さないで、それが、どちら側の証人であっても、双方の弁護士が証人と面談するということもある。
「どうあっても、出て欲しい。医学のためです。裁判所の要請に遵うのは、国民の義務です」「大変だから、証言なんか断れば良い。証言しなくとも大丈夫。お忙しいですよね。お疲れですよね。病気で出れないという診断書でも出させましょうか」
 敵側の証人ならば、証言の内容をどう言えとかは、言えない。しかし、現実的には、ここで圧力をかけることができる。病院と利害関係をもつ労働者や開業医には、これはキツイ。もちろん、ここらは微妙な言い回しが必要。下手打つと訴訟妨害ね。
 ひとりの証人をめぐって、双方の弁護士が何度も訪問することになる。


 こんな話もある。原告が、命の恩人と思っている転院先の医師がいた。裁判に勝つためには、その医師の勤務する病院も提訴する必要があった。しかし、原告は、弁護士を解任してまで、その病院を訴外とし、不利を承知で裁判に突入した。そして、提訴直後に、その医師に手紙を送った。
「もし、先生が証人尋問を求められるようなことになって、しかし、先生が出廷されたくないならば、原告側弁護士ができうる限り出廷しなくとも済むように援助をします。また、もし、証言をされることがあれば、先生がどのような証言をされようとも、原告側は一切の反論をいたしません。病院の立場を守るのも医師の努めでしょう。原告は、先生が何を言おうと、気を悪くともなんともしません


 たいていの証人は、どちらかの側の主張を裏付けるのための証人です。なので、原告側証人、被告側証人という形になる。
 当然、原告側は、原告側証人に、証言のリハーサルを行います。この証人尋問のリハーサルが丁寧にできるかどうかが、勝敗の分かれ目です。被告側から予想される反対尋問も想定して、証言内容を検討します。これは被告側も同じです。まともにやれば、何時間もかかります。
 これを手抜きしてやらないでいると、絶対に駄目。本当の裁判をご存じない証言者に対して失礼なこと。裁判という舞台では、いかに演出するかが重要なのです。
 先にあげた「怒って帰った医師」の場合は、おそらく証言のリハーサルをきちんとしていなかったのでしょう。公平さのためにあえて練習をしないというのでは、決して公平にはならないのです。
まあ。ぶっつけ本番のほうが、信憑性が出るというのはある。役者じゃないので、予定外の反対尋問が出ると、いきなりしどろもどろになったりするのだ。

  
 これらは、法廷が、真実の追究の場ではないからだ。双方それぞれが有利な演出をするからだ。偽証のオンパレードだからだ。
 もちろん、自分だけは、圧力を使わずに闘うというのもひとつの道だとは思う。公平な鑑定をしようとするなら、双方の弁論は抜きにして、カルテだけを鑑定医師に見せて判断すべきではないかという意見もある。それはそれで立派なことだと思う。ここらは、それぞれの生き方が問われるところだろうし、正解はない。
 
 僕たちは、裁判所が公平な審判と正義を実行できるよう、証人に対して、なんらかの規制や制裁、優遇や保護を考えなくてはならないと思う。