冤罪が生まれる理由

 冤罪が生まれる理由というのは、被害者や遺族が納得できない理由である。
 この構造は、医療過誤裁判でも、おなじ。

 きのう、会合があった。
「隠された真実 冤罪と司法のあり方を問う」
 法律事務所の主催で、柳原三佳さん(交通ジャーナリスト)、稲垣仁史弁護士(名張毒ぶどう酒事件弁護団)が主軸をお話しされた。

 いろいろな原告や支援者が遠方から集まっていた。その多くが、いわゆる「活動家」ではないというところが新鮮だった。支援しているのは、みな、友人、知人だ。
 法律の専門家ではない支援者というものが、やはり必要であることを再確認した。

日本で冤罪が生まれる原因は、
1)死因究明制度・司法解剖の状況が、極めて貧弱であること。
 事件への対応が、念入りな法医学の判断ではなく、警官の五感による即決判断となっている。だから、殺人事件が自殺や事故とされたり、事故が病死とされたりする。
 ウイーンでは、変死体は100%、頭から爪先まで司法解剖される。人口180万人の都市で、年間1800体の司法解剖。そして、200体分の遺体冷蔵保存庫がある。
 フィンランドでも薬毒物検査を徹底的にやる。オーストラリアでは、自殺の認定には6カ月を使う。
 設備も人員も、日本とは桁が違う。写真を見せてもらったが、外国では、見るからに物凄い大きくて近代的な保管設備だが、日本は青いポリバケツ(ゴミバケツ)が並んだ、実にお粗末なものだった。
 日本の変死体15万体の司法解剖率は、3〜4%という。


2)捜査記録や調書が非開示であること。
 アメリカ(カリフォルニア州)やオーストリアでは、警察の調べたものは、パブリック・インフォメーション(公共情報)であるから、全ての調書を公開している。もちろん、有罪証拠も無罪証拠も全ての証拠をである。
 ドイツでは、刑事処分が決まるまでは調書を公開している。決まったあとは非公開。捜査と鑑定は別の役割で、警官がやるのは捜査のみ。
 カナダでは、検察が証拠を隠したら、真犯人でも無罪となる。
 
 でも、日本の検察・警察は、自由に隠して良いことになっている。いったい、どんな証拠や記録があるのかすらわからない。たとえ、何があるのかがわかっても、裁判では出されない。(裁判官が命令しない)
 無罪の証拠や調書は、検察が見せないのだ。

 50年以上も闘っている「名張の毒ぶとう酒事件」でも、捜査記録や証拠は開示されていない。少なくとも6人の裁判官が無罪の判決を出した事件だが、死刑判決を受けて、まだ差し戻し審の最中だ。

 また、有罪の証拠とされるブツは出るのだが、送検書類などが開示されても、摩訶不思議なことに、検察が同意しなければ法廷に出せないのだ。つまり、有罪の根拠となる送検書類が間違っていても、それを裁判で争うことができないのである。
 前にも触れたが、このパターンは、僕の身近に3件もある。政治犯ではない。内2件は当該が死亡している。僕のような法律の素人にとっては、ちゃぶ台ひっくり返しの裁判ルールだ。


3)ここに損害保険会社の利権がからんでいる。
 たとえば、交通事故の損害賠償では、事故の責任割合というのがある。
 死んだAさんが100%悪いなら、Aさんの加入している保険会社からは1円も出ない。Bさんが悪いなら、Bさんの加入している保険会社から、Aさんに1億円出るとする。ならば、保険会社としては、Aさんが100%悪いほうが都合がいい。
 保険会社同士で闇の談合があるということ。証拠はつかめないがね。

 単独の自損事故でも、保険金支払いをとめるには、運転手は飲酒していたことにすると良い。だから、保険会社と警察の癒着が生まれる。保険会社は、支払い金額をそうやって操作する。警察はそうなるように捜査する。
 現在、アムザが裁判を闘っているのは、これ。「捏造された血液鑑定」をめぐって、日本最高峰とも言える強力な布陣となったが、いかんせん、警察を外した本訴(医療裁判)は最高裁棄却の敗訴確定で、現在は、自動車損保を相手とした別件訴訟、一審敗訴のあとの控訴審だ。戦線は圧倒的に不利。


4)さらに、警察や検察の身内のかばい合い。
 会合に来ていた、高知白バイ事件の支援者のブログを紹介しておく。執念のナイス・ガイだ。
http://blogs.yahoo.co.jp/littlemonky737
 将来ある子どもの前で、警察が証拠を捏造し、裁判所は、止まっていたバスが「動いていた」と言い張って、バスの運転手を有罪にして刑務所にぶちこんだ。
 そんなことしてると、みんな、大きくなったら過激派になっちゃうじゃないか(^○^)


5)そして裁判官の多忙や閉鎖性、偏狭性がある。
 刑事事件では、犯罪の立証責任は検察にあり、被告人弁護側は疑問を投げかければ良いだけのはずだが、実際はそうではない。
 裁判官は、調書の信用性を重んじて、有罪の判決を書くほうが楽だというわけ。

 日本ではじめて自衛隊違憲と書いた裁判官(長沼訴訟)が、その後どうなったのかというドキュメンタリーの名作をつくったテレビ屋の美女も来ていた。いい企画だ。
 当時、札幌地方裁判所の裁判長だった福島重雄は、その後、地方の家裁で飼い殺しになり、早期退職したという。まあ。忸怩たる思いはあれど、自分の信念として、やるだけのことはやったというところらしい。

 弁護士からは、刑事訴訟法全体を改定しないと駄目だ、と意見が出た。
 また、拘置所での弁護士接見制限も、平等ではないと文句を言っていた弁護士もいた。検察や警察は、いつでも自由に被告人と会える。裁判員裁判になって、弁護がさらに苦しくなったという。

 裁判所が真実だというのは、フィクションだ。
 しかし、真実に近いところを認定してもらわないといけない。
「十人の真犯人を逃すとも、一人の無辜(罪なき人)を罰することなかれ」「疑わしきは罰せず( 疑わしきは、被告人の利益に)」というのが、裁判の原則のはずだが、
 現実には、「真犯人を逃してなるものか! 俺にはわかるんだ!」という裁判官の奢りがある。
 
 そう締めくくられた。


 闘う人を、決してひとりぼっちにしてはならない。