雪が降った

寒い。

寒いなかで仕事をしている人はきっと大変だろう。
だからこそ、燃えるのだが。


僕は、長い間、人が遊んでいるとき、人が寝ているときにも仕事をしていた。
今も、土日、祝日や、多くの人が寝ているときに仕事をしている。
どちらにしても、どうあっても、終えたときの空虚感はいかんともしがたい。
それが疲労を二乗する。
仕事とは、そんなものなのかも知れないが。


ホームページの更新を2時間かけてやったとする。
ふと、時計を見たとき、その2時間の空白に耐えるのは、恐ろしいものだ。
かといって、では、何をしていたのなら満足なのかというと、
何も思い当たらない。

すると、どうなるかというと。
疲れ果てて眠るまで、前進するしかなくなる。
しかしながら、常にやれるわけもないので、ふと、立ち尽くすときがある。
このときの虚無感は、かなり、きつい。

頂上に到達したと思ったときは、死の恐怖だ。
なにもかもが無意味に感じる。
それは、じわりじわりと、首を締めつける。


これではたまらん、というので、
自分の成したささやかな活動を愛でるという満足を探そうとする。

出来上がった機関紙を眺めて、コーヒーを飲む。
綺麗にした水槽を眺めて、透明な水の流れを見つめて、ため息をつく。
絵を描いて、写真を撮ってプリントして、しばし、たたずむ。
原稿用紙に万年筆で文章を書いて、悦楽のひととき。
ほとんど変態である。

僕は、たいてい、悩みなき人にみえる。
能天気な性格のようにみえる。
うらやましいと言われることがある。
言い換えれば、馬鹿にみえるということなのだが。

でも、そういう人は、たいていの場合、反対の極をどこかにもっているのではないかと想像する。
それは、一日のうちでの変化もあれば、何年越しでの変化もある。


僕が人生をくだらないと思う理由である。


そう言っていられる余裕があるというのは、幸せなことだろうとは思う。