反芻する意志

 過日、お会いした方が、このブログを読まれて僕の年齢を想像していたとのこと。ズバリ正解でありました。もちろん、同時に、どのような人物なのか、直接会っても危険はないのか、と検討したのも間違いないところでしょう。

 その年齢推定の根拠が、「これだけの文章を書くのは」という点にあったそうで、それが見抜けたということは、その方の文章力もそれなりのものをお持ちなのだと思います。内容が直接的に示唆する年齢はともかく、普通はわかりません。

「これだけの文章を書くのは」というのは、言い換えれば、「その程度の文章」ではあるのですが、なんとか及第点をもらった気分で胸を撫で下ろすと同時に、自分の筆力の甘さを反省する次第です。
 こんなところで本気で書くのは、もったいないという気持ちはありますが、出し惜しみするまでもなく、まだまだ下手なのは事実です。


 かつて、僕は、無冠ながら、原稿用紙で400枚くらいの小説を、その筋ではメジャーリーグと呼べる出版社から発刊し、2万部を完売しております。
 いくら金を出したのかと聞く人がいますが、出したのではなく、もらったのです。自費出版ではなく、商業出版です。通帳に振り込まれた金額には狂喜しました。

 巷では、30万部だとか百万部などと耳にしますが、そんなのは一部の超売れっ子作家だけのことで、実際は、純文学なら見込み3千部で出版するかどうかの瀬戸際、5千部なら大成功と言われるのが現状です。
 つまり、2万部とは、どういうことかというと、はじめて本屋に並んだ週から翌々週あたりにかけては、確実に平積みされているわけで、本来なら、そこそこ食ってゆけるレベルであり、事実、編集長からレギュラー作家として指名されることになりました。

 駅前の本屋で自分の著書が積んであるのを眺めていたとき、たまたま知らない人が、僕の本を手にとってぱらぱらとめくりはじめました。側目で観察していると、その人は、僕の本を持ってレジのほうへゆきました。
 僕は、レジまでついてゆきました。本当に金を出して買うかどうかを見届けるためです。万引きするとは思えませんでしたが、念のためです。
 本屋の袋をぶら下げてゆく彼の後ろ姿に、僕は心のなかで頭を下げ、次はもっと良いものを書くから、と誓ったのでありました。

 小説を作るときには、2つの重要な側面があります。ひとつは、いわゆるストーリーテーラーなる物語のおもしろさであり、もうひとつは「販売用の日本語」であることです。
 しかし、ほとんどの方は、この「販売用の日本語」というものを意識していません。僕も、編集者から書き直しの千本ノックを受けて気づきました。
 読む側としては、それを意識することのほうがおかしいわけですが、書く側が無自覚であると、いつまでたっても「商品」は書けません。
 ひょっとしたら、純文学や私小説というものは、この部分に対置させるものではないかとも思えます。

 ブログでどんなに良い文章を書いても、小説の文章とは違います。文法が違います。えっ? と驚いたあなた。うふふ。書いてますね。

※ここで言う文法とは違いますが、小説に限らず、このすぐ上のセンテンスで使っている「基本規則」をご存じない人はとても多い。ネットでいろいろなブログを拝見するが、まともに記述している人を見たことがない。商品ではクリアーが当然。この程度なら、あとで直せばいいのですが。

 文法という言い方をすると誤解が生まれるのですが、およそ一次選考を通る作品というのは、数ページ眺めればわかります。読むのではありません。眺めればわかるのです。(これは大衆小説の場合です)
 水彩画と油絵では、描き方が異なります。クロッキーとデッサンでも、描き方が違います。同じ絵画ですが、出来上がったものは別物であるように、小説とそれ以外の文章では、制作技術が異なるのです。相当に書き込んでいる人でも、なかなかこれに気づきません。
 ともかく、どの新人賞も、僕にとっては射程距離です。


 学生時代の僕は、国家上級甲種(家庭裁判所調査官補)の筆記試験を通過して、面接で落ちてます。
 この難易度がどの程度であるかというと、京都大学あたりは別として、各地方の最難関大学で、毎年ひとりいるかいないか。たまにふたり合格する年があるというレベル。そこそこ名のある私学でも、創立以来ひとりも合格していない大学は珍しくはありません。受験は、社会学、心理学、教育学、社会福祉学それぞれの専攻を選択でき、専攻した分野の辞書を概ねマスターしている必要がありました。この專門論述では、1問わからなかったら不合格です。法学は、一般教養問題だけです。
 この筆記試験を通過しただけで、僕は、著名大学の助手職への推薦を打診されたくらいです。就職部では、どこでも好きなところに入れてやると豪語されました。
 この試験の面接にたどり着く学生というのは、いわゆるキャリアと呼ばれる国家上級(乙種)公務員試験に多くが合格しています。国家上級が滑り止めということです。現在は、甲種乙種は「1種」として統合されています。
 面接前には、不在時に近所への聞き込みがなされます。近所のオッチャンが「あんた4年生か。今度、就職か。あんたのことを聞きにきたスーツ姿の二人組がいたぞ」と言われたのでわかりました。僕は就職活動をしていませんでしたから。公安かとも思いましたが、それなら警察手帳を見せたでしょう。

※調べてみたら、現在は試験方法が大きく変わっている。
 当時は、一次試験が2日間みっちりの筆記論述試験で、試験の会場では、1つの時限が終わるごとに受験生が減っていった。1問わからずに解答できなかった学生が、どんどん帰ってゆくのだ。僕の席のまわりもガラ空きになった。
 一般教養は人文・社会・自然科学の全科目の択一で、これで足切りされると言われていた。9割前後の正答率は必要だったのではなかろうか。理数系などは、設問自体が理解不能のものさえあったので、僕は運がよかったと言える。
 僕は社会学専攻だったが、専門論述は、社会学史、社会学概論、社会心理学、社会病理学、社会統計学などの各分野ごとに1題ずつ出題された。
 論述は得意なほうで、在学中には3科目で教官から個人指導の呼び出しを受けたことがあるし、僕のメインは俗物社会学ではなく、哲学のような理論社会学や社会思想だったので、応用が効いた。大昔のことなのであまり覚えていないが、確か校内暴力や暴走族の分析把握をせよというのが出題された。解答以上の解答をしたつもりなので、採点官はたまげたはずだ。論述の採点官は、専門分野ごとのどこかの大学教授だろう。専門分野ごとであるということは、概論は別として、現象学に寄り道させた僕の論述は最後には理解できなかっただろうと思う。書いてる本人もよくわからなかったのだから。おそらく大量の部分点を獲得できたのではなかろうか。
 二次試験が面接だったが、たまたま順番待ちをしていた学生のうち、8割以上は東大生で、一橋大もひとりいたが、僕のような馬鹿大学は明治大がひとりいただけだった。
 これから挑戦しようとする人は、わからない問題が出ても、決して諦めてはいけない。考えろ。考えろ。記憶のどこかに関連する事項がひっかかってくるはずだ。答案用紙は裏面もいっぱいにして、もう一枚追加を申し出ろ。B4で裏表2枚分びっちり埋めろ。起承転結のあらすじを決めたら、迷っている暇はない。書きまくれ。ほとんどの学生は、教科書暗記の丸写しだ。それでは採点官は面白くないのだから。採点官は、毎日、聞いてるのか遊んでるのかわけのわからない学生を相手に講義してうんざりしているのだ。楽しませてやれ。
 面接では、期待される回答をするんだぞ。馬鹿なことをしゃべるんじゃないぞ。嘘つきになれよ。国家体制を批難したら駄目だぞ。ここぞとばかりに奮発して妙なスーツやネクタイを着てゆくんじゃないぞ。結婚式じゃないんだから。合コンじゃないんだから。合格通知は最高裁から来るんだぞ。吊るしの一番安い無地紺にしとけ。……僕ひとりだけ服の色が違っていたよ(T-T)

※家裁調査官という仕事は、一般にはあまり知られていないが、なかなか面白いシステムで、少年事件や家事事件で、たかが裁判所の職員だと思ってなめていると、とんでもないことになる。不幸にも、事件中に出会ったとしたら、その調査官が裁判官だと思って間違いはない。判決を言い渡すのは裁判官だが、実質的には調査官の判断に従っているのだ。
 僕は、医療過誤裁判には、この調査官のシステムが有効だと考えている。医療専門の補助員としての制度の新設である。交通事故や傷害事件、殺人事件でも活躍できるだろう。
 しかし、その家裁調査官も処理件数が多すぎて、まともな仕事ができないと嘆いていた人がいた。どこか民間で雇ってくれないだろうかと、世間知らずなことを言っていたベテランがいた。これまでいい給料をもらっていたんだろ。ロハでやらんかい。ロハで。根性無し。誰も指摘していないと思うが、司法の天下りなどということは廃止すべきだ。実力を買われてのことだろうが、調査官は一般事務職員とはわけがちがう。
 同様に、裁判官が、書面をまともに読んでいないとか、法廷で寝ているというのは、処理件数が多すぎるからである。裁判を戦う人は、そこを注意しないといけない。

 それから、何をやっても、日本の最高峰なり最前線まで手が届くのですが、そのあと必ず足を踏み外すのです。
 人の倍は働いた自負がありますから、過労死された方の残業時間を見ても、僕は全然驚きません。ああ。あのあたりの感じで崩れたかと、想像がつくくらいです。いったいどれだけ頑張れば、なんとかなるのかと、天を仰ぎたくなります。
 もう日本赤軍に入るしかないな。会費払えるかな。受け付けはどこでやってるのかな。パスポートは必要かな。などと考えていたとき、重信房子さんが、満開の桜がどうのこうのと、日本赤軍の解散宣言を出しました。またひとつ希望が断たれた思いでした。

 小説の出版も、いきなり駆け登った形です。この仕事で、もう最後にしようと思います。二作目でこけたので、もう一度、ゼロからのスタートです。
 小説を書いたことのある人ならお分かりいただけると思うのですが、小説家であるということは、人生を投げ捨てるという部分を持っています。これは苦しい。とても苦しい。死ぬかと思う。まだ、世俗を捨てきれないのでしょうし、まわりをみていると、僕には、革命家ほどの決意はないと痛感します。

 そのような状況のなかで、ギリギリのアルバイト生活をしながら、1円にもならないどころか金銭を投入しながら、さまざまな活動を懸命にやるはめになっています。誰が命令するわけでもなく、事あれかしと覗いているわけでもないのですが、これも成り行きです。非才を補うには、無駄撃ちを承知で前進するしかありません。


 明日は、朝からビラマキ街頭宣伝です。なんで朝っぱらから、そんなことをするのかと思うのですが、大将たちが決めたことなのでしようがありません。
 その日その日を、意識が遠のきそうになるまで耐え続け、かといってエネルギーの拡大再生産が効いているとも思えず、体力にも自信がなくなっている。この面からも、ときどき死ぬんじゃないかと思います。

 僕はいつも人の殺し方を考えています。
 犯人がわからない殺害方法を考えています。
 殺さなければいけないと考えています。
 殺害の場面は丁寧に反芻します。
 拳銃を撃ったり撃たれたり、ドスで刺したり刺されたりした元イケイケのヤクザもお友達です。わからないことは教えてもらいます。
 政治犯には、たくさんの知己を得ました。
 弁護士さんたちも、お医者さんたちも、親切にしてくれます。
 みなさまのご苦労とご好意を無には致しません。
 あとは、寿命との競争です。
 途中で革命となれば、僕はいつでも銃をとります。