法廷外闘争(マスコミ)

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【法廷外闘争(マスコミ)】

 裁判には、社会問題として多くの人が取り組むべき訴訟も多い。
 医療裁判は、それだけで社会問題であるし、内容によっては、具体的な法案や行政に関わってゆくものも多い。マスコミはそんな訴訟を報じる。
 マスコミは、報じるだけでなく、意見のリード次第では内閣でも倒せる。
 彼らに作られた世論の圧力は、裁判の進行や判決に影響を与える。

 ならば、医療裁判の原告は、こぞってマスコミを歓迎するはずなのだが、実際には、マスコミに対して激怒している原告も少なくはない。

 さらに、医療過誤を報じる記事は、概して、わけのわからないものが多い。普通に読んだだけでは、そんなふうには思わないかも知れないが、「もし、普通に読めたら、それは誤解して読んでいる」と考えて、たいてい間違いはないだろうと思う。
 医療過誤の状況を知っている人が見ると、書かれていない点が目につくのである。だから、意味不明にみえる。医学臨床を知っている人には、また別の側面から、書かれていない点が目につく。そんなものだ。
 だから、医療事件の報道に対しての多くの世論は、「馬鹿コケ阿呆。外野は黙っとれ」というのが正しい。

 そこには、マスコミ人の「無知」がある。
 不正を暴くジャーナリズムとは無縁の報道という名の「市場」がある。
 彼らには、第三者どころか特権階級の驕りさえある。ないとは言わせない。
 しかも、毎日の仕事なんだから、長いものには巻かれて、そつなくこなすのが正しい生活人。


 大手マスコミ人とひとりぼっちのフリー記者とは、微妙な違いもあるが、たいていは、良かれと思って取材に協力したら、とんでもない編集をされる。そうなると、もう二度と協力しないということになる。
 それは取材した記者だけの責任ではない。その上の人間の責任でもあるから、その人が「他の人に説明しやすい材料」という観点で素材を提供する必要がある。

 また、どこのマスコミも、部外者や取材相手に、発表(報道)前の最終原稿なり、カンパケ(完成ビデオ)を見せることは、絶対にない。まず、絶対だ。取材された側としては合点がゆかないが、それは「報道の自由と独立」というものだ。だから、報道されてから愕然とする。だから、事前にこっそり圧力団体に見せたことがバレると事件になる。
 

 仰天の結果となる理由には、記事を作る側に、「はじめに結論ありき」という事情もある。
 予定された結論にあわせて、証拠をつくる。裏をとる。それが仕事。

 よいですか。ニュースは「作る」ものです。あたりまえの話なんです。そんなものを公平だとか公正だとか正義だなどと思うほうが、どうかしている。

 おもしろいニュースが、良いニュース。 楽なニュースが、良いニュース。
 売れるニュースが、良いニュース。 スポンサーが喜ぶニュースが、良いニュース。

 たとえば、毎週10件ずつの記事の企画が出され、そのうちのひとつに、取材の「Go!サイン」が出る。ニュースは「企画」なんです。


 なのだから、報道して欲しい人は、事実を説明するだけでなく、事件に関わる社会性を指摘しながら、裏付けやほかの取材先を用意してやり、絵になるものや逸話を添えて、なんとか売れるニュースとして提供する努力が必要だと思う。
 必要にはなるが、ほとんどの人は、そんなこと知らんから、ありのままを見せるだけになる。それではいけない。できれば、独占取材(スクープ)の利得にも配慮したい。記事を作る側の気持ちになってみればいい。
 記者が、何に興味を示して、何を探しているのか、なんとかして見分けないといけない。


 政治が叩けないのは、記者クラブの存在である。あんなものは廃止すべきである。
「あんなこと書いたから、あんたにはもう教えてあげないよん」となるから、記者は何でも書けるわけではない。記者クラブへの出入り禁止どころか、エリートコース一直線だった人が下手をすると左遷である。特に、皇室周辺などは暗黙の緘口令が敷かれている。

 これを逆手にとる方法がある。記者クラブやいわゆる報道協定に入っていない週刊誌は、比較的なんでも書けるのである。アウトロー系のコンビニ雑誌もいい。まあ。読者もそれなりの受け取り方にはなるのだが。

 僕は、一番に、集英社の「週刊プレイボーイ」を推薦する。あそこは気骨がある。綺麗な姉ちゃんの裸体写真を載せて、おもしろおかしく演出したエロ話や馬鹿話のなかに、非常に貴重な記事が載っている。原発の周辺で小児ガンの発生率が高いと暴いたのは、週刊プレイボーイだ。
 まともな事件記者とも契約しているからだろうし、マンガで儲けながら、ジャーナリスティックな単行本も出しているからだろう。
 政治人脈の犯罪性を暴露した「腐食の連鎖」と「週刊プレイボーイ」は、同じ会社の違う部署なのである。エロ本というよりは、メジャーリーグの2軍という様相なので、記事採用の難易度は相当高い。それでも、当たって砕ける価値はある。


 また、裁判所には、記者クラブのお部屋がある。主な大手マスコミの机がある。記者会見をしたい場合は、そこで相談する。もちろん、事件にそれなりの社会性や時事性が認められないと機会を作ってくれない。
 そこの全社にレポートを渡すのもいいが、中にいる誰か(どこか1社)と順に相談するほうがいいかも知れない。熱心な記者が見つかれば儲けもの。
 
 一般にわかりにくいところでは、通信社か。時事通信とか共同通信などの通信社の記事は、どちらかというと地方新聞の記事となって、結果的に全国区になる。
 ある日、どさっと新聞が届いた。聞いたこともないような新聞が北から南まで入っている。ある通信社の記者が、「先日はどうも。記事にしますたあ〜」と報告をしてきたのだ。地方名の豊かな紙面を眺めながら、なるほど、こういう具合なのかと実感できた。
 大手新聞社は各都道府県に記者を置けるが、地方の新聞社には、そんな余裕はない。それでも全国版の記事は必要。そこで通信社が記事を売るというわけだ。


 記事の扱いは、個人的な関係が影響することがある。記者も人間だ。そういう関係を公判ごとにぼちぼち作ってゆくことができれば最高だろうけども。

 蛇足だが、僕は、大手新聞に顔写真入りで記事が出たことがある。念のため書き添えるが、容疑者でも被害者でもない。こんな馬鹿なことをやっている奴がいるという、いわゆる「ひと欄」だ。週刊誌に某専門家としてコメントをしたこともある。
 僕は、もともとは取材する側だったのだが、いつのまにか取材される側になってしまったのだ。ミイラとりがミイラになったわけで、つまり、記事になった理由は「記者の知り合い」ただの人間関係なのである。自身の価値では決してない。報道記事など、その程度のものです。
 最近の労組の活動では、特番でテレビに何度か映って、僕の活動を知らない知人が見て仰天したこともあったが、それはたまたま。

 ともかく、うまく利用してゆきたいものです。記者のとこには「記事にしてくれ」「あいつを断罪してくれ」というよもやま話が押し寄せるので、なかなかうまくはゆきませんが。



 さて。今回で、一連の医療過誤裁判の基礎知識を終わることにします。まだ書き足らないこともあるのですが、忍耐強く読まれた方は、医療過誤に関わらず、裁判についての情報も多少は得られたのではないかと思います。
 今後、まだ少しの間、このブログが必要なので、ひょっとしたら、意志統一の新しい方法について書くかもしれません。
 異なる思想や違う価値観の持ち主が合意を得るための方法です。これは、まだまだ知られていませんし、実用化にはまだまだ遠い方法ですが、希望があるということだけは重要でしょう。武力ではありません。これは、いろいろな呼び方をされていますが、グループ・エンカウンターという技法です。古くは教会の啓蒙活動から、ベトナム戦争の兵士の後遺症から、カウンセラーの養成訓練などから、さまざまな論理や実践の試行錯誤の末に、だんだんと体系化されているものです。話せば長くなります。
 あるいは、熱帯魚の飼い方。写真の撮り方。ビデオ撮影や編集のコツ。簡単にできる心理療法の紹介か。生活保護申請や、天皇制の意味、神秘学の話、実存主義と社会構造……。だんだんややこしくなるな。
 まあ。気が向いたら(^-^)/~~


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たれもかれもが力いっぱいに
のびのびと生きてゆける世の中
たれもかれもが「生まれてきてよかった」
と思えるような世の中
じぶんを大切にすることが
同時にひとを大切にすることになる世の中
そういう世の中を来させる仕事が
きみたちの行くてにまっている
大きな大きな仕事
生きがいのある仕事

              吉野源三郎