法廷外闘争(傍聴人)

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【法廷外闘争(傍聴人)】

 法廷外闘争としてのWEB闘争や署名運動の他に、裁判官の判断を左右するものには、法廷の傍聴人の数がある。
 見物人が多いほど、裁判官も燃える。いつもより丁寧に進行を説明する。実にカッコイイ。弁護士も検察官も胸を張る。だいたい立ち方が違う。いつもみたいに、へなへなっと中腰で、ごにょごにょと発言しなくなる。
 考えてみれば、おかしな話だが、これは裁判闘争を行っている人には常識。

 だから、社会的事件として取り組んでいる事件では、支援団体が公判に「動員をかける」マイクロバスで乗り付けるようなときもある。傍聴人が法廷に入りきらなくて、大法廷に急遽変更するくらいだと素晴らしい。だが、いかんせん。法廷は平日の昼間だ。そんな時間にうろうろできる奴は限られている。

 裁判官は、法廷に入ると、ざっと傍聴人を見渡す。どっち側の支援者か言わなくても、だいたいはわかるものだ。ついでに、新聞記者みたいな雰囲気をかもしだす人もいたほうがいい。スケッチブックに似顔絵でも描いてる人がいれば完璧だ。

 傍聴に関して、ひとつ苦言を言うなら、学校の授業でひとクラス分の児童をつれてくる学校の先生。裁判傍聴の機会は重要だし、証人尋問をめがけてやって来た狙いはわかるが、小さな法廷で事件関係者が入れないようなときには、交替制にする配慮がほしい。出て行けとは誰も言えないのだから。

 日本の法廷では、写真撮影は完全許可制で、録音も駄目。
 最近は、傍聴人が携帯電話をいじっているだけで注意される。「なんね。あんた、携帯を取り出しただけで文句をつけるのかね」と聞いたら、写真を撮っているのか、別の操作をしているだけのか、わからないので、全面禁止にしているんです、と言う。本当は写真を撮ったのに、撮っていないとゴネる奴がいるわけだ。けしからん話である。

 テレビなどでは、代表の局(複数局のときもある)が、裁判官たちを1分程度撮影するだけだ。そのとき容疑者はまだいない。傍聴人には、写って困る人は出てください、と言う。

 だが、これもおかしな話だ。裁判は公開にゃろが。 容疑者や被害者が写ると困るという話もわからんでもないが、「裁判公開の原則」をうたっている割には、中途半端に公開を禁止する。
 アメリカでは、法廷で、被害者が犯人を殴りつける場面まで放送されている。今後、そんな実況中継も検討したいところ。

 東京あたりだと、傍聴人の荷物の(金属探知機?)検査(かなりいい加減にみえるが)をしているが、名古屋裁判所では通常はやっていない。それは評価するが、名古屋裁判所では、危なそうな傍聴人が集まるときだけ、カバンの中に手を突っ込んで中味を調べたり、身体へなにやら器械を当てての金属探査を行い、傍聴席のまわりには警備の職員をずらりと並べる。平日の昼間に集まる人がそんなに不審か。これは差別だ、と弁護士に抗議してもらったが。

 まあ。たまにしか身体検査をしなくて、法廷での暴行がほとんど起こらないというのが、日本の誇る秩序なのだろう。
 しかし、名古屋裁判所でも、証言に立った被害者を犯人が殴ったことがある。刑務官の大失態である。そんな難しい問題はあるが、それでも傍聴人の身体検査や荷物検査などはやめるべきだと思う。
 凶器検査は、防ぐというより、牽制が目的なのだ。大きなサバイバルナイフなら見つかるだろうが、傍聴人が一斉にボールペンを投げたらどうなるか。パチンコ玉を1個ずつ投げたらどうなるか。小麦粉の袋を投げたらどうなるか。
 そのくらいはやってもいいと思っているが、そこが微妙なところで、裁判闘争をするのは、「裁判所の正義という幻想を頼っているから裁判を行う」という側面があるから、靴投げをやるのは間違っていると言える。裁判を荒らすなら、裁判をやる意味はない。そう考えれば、いい加減な妨害など出来ないだろう。
 しかし、本当におかしいと思ったら、傍聴席からでも抗議してもかまわない。どんなに厳しい言論統制のある社会でも、発言は自由だ。言ったあとの自由がないだけ。
 通常、傍聴人が発言すると退席させられる。多少ざわつくくらいは、大目にみてくれるが、はっきりと発言すると、まず間違いない。「そこの人。退廷!」である。だから、文句を言ってから、裁判長の命令どおり素直に出てゆく。これが秩序。これが常識。これが法廷。

 ところが、ギッチョンチョン。
「裁判官に注意して」退廷を命じられなかった知人がいる。「裁判官に注意」したのだ。
 この重大さ。わかりますか?
 それも、「声が小さくて聞こえましぇ〜ん」などという、いつもの文句ではない。「被告弁護士は、証人の発言を遮らないでください!」とやったのだ。それ、訴訟指揮ですよ。あなた。
 当然、退廷命令が出るはずだったが、おとがめ無しで、裁判官は、「その野次にしたがって」続行した。
 これには、年配の弁護士もぶったまげた。「こんなことは、はじめてだ」と言っていた。「ああいう形の野次もあるんだ」と、しきりに感心していた。
 その裁判官も見事です。自分の誤りを素直に認めたのですから。あんな高いところに座っていて、なかなか出来ることじゃあない。
 傍聴席から発言した知人は、物事を素直に考えるセンスを持った人なのでしょう。実に立派な方です。僕などは、尋問をはらはらしながら見ていただけで、野次を飛ばそうなどとは考えてもみなかった。