医療裁判の特殊性(2)

CapHerlock2010-04-02

【医療裁判の特殊性(2)】

 この稿は、新たに追加した項目で、今回のブログのために書き下ろしで書いてあったのだけど、ファイルを開けたら、間違って別の原稿を上書きしてしまっていた。何日か前のものだが、どういうわけか思い出せない。そうなると、なんだかノンフィクション大賞でも受賞しそうなネタだったのではないかという気もするのだが、さりとてバックアップを探す気にもなれない。

 今ここで改めて追加するとしたら、被告であるはずの医師は、裁判になっても、別にどうということもない、ということ。
 これも、裁判をする前の患者が誤解していることのひとつであろう。

 医師は、裁判に負ければ、大病院での出世などには響くかもしれないが、そんなに裁判で苦しむことはないだろう。全部、保険屋がやってくれる。裁判を起こされていることなど、普通は言わなきゃ誰にもわからない。生活保護や破産とおんなじ。
 たまに弁護士との打ち合わせもあるだろうが、証人尋問で呼ばれたときだけ裁判所へ出かければいい。その程度の手間。患者である原告に比して極楽。
 
 憎き医者をやっつけてやろうと思っている原告は、1時間かそこらの証人尋問の晴れ舞台まで待たなくてはならない。期待の舞台もどこまで攻めれるかわかったものではない。まずは、落胆すること必至。
 医療裁判は、医者や病院と闘うはずが、実際は誰と闘っているのかわからないということだ。

 医者が負けたら100万円。それ以上は保険屋が出す。
 保険料は開業医なら、年間1万円くらいの掛け捨てで保障1億円。産科の場合は保障3億円までで、保険料は少し高いが、たいしたことはない。
 大病院の場合は、病床数に応じて保険料が百万円単位で異なるので、経営上の大きな項目ではあるだろうが、税金みたいなものだろう。公立病院は、行政と保険屋の保障割合がいろいろあるらしい。
 これらの医師の損害保険については、まだ詳細を確認していない。

 民事はそんなもの。小心者の医者が、裁判を医師不足の理由にして騒いでいるようだが、実に本末転倒の戯れ言。駄々っ子の誹謗中傷以外の何ものでもない。自分らをよほどの特権階級だと思っているのだろう。まったく馬鹿者めが。

 マスゴミの報道に、わけのわからないものが多いことも関係している。医者にはその記事の意味が読みとれない。一般人なら、さらに読めない。もちろん、低能な僕が読んでも意味不明。そういう記事が多いように感じる。報道とは常にそういうものではあるが、記者の医療過誤への問題意識が薄いのではないかと思える。だから、必要な情報が抜け落ちる。


 しかし、刑事裁判は怖い。医者が怯えても不思議はない。怯えるだけでなく、全ての医者が真剣に取り組まないと、とんでもないことになる。 証拠隠滅の恐れあり、逃亡の恐れあり、などとして、状況によっては身柄も拘束される。
 患者側からみても怖い。警察や検察が、きちんと調べて全てを正確にわかっているはずがない。絶対にありえない。

 裁判は、基本的には民事も刑事も同じ。勝つための言論の戦闘です。医学と犯罪の分岐点を見極めようというわけでは決してないということです。
 さらに、検察官も裁判官も弁護士も、医師ではない。医師が協力しないと、言論の戦闘すらもできない状況。そこに日本特有の高い有罪率があって、「おいおい。マジで起訴して大丈夫?」という話。
 ここに、医療過誤についての医師の意見制度が確実に必要になる、と僕はみている。
 民事と刑事の差はあまりにも大きい。