弁護士とのつきあい方

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【弁護士とのつきあい方】

 まず。やつらは何をしているか?  
 司法は国家政策の実行宣言の場であり、裁判所と検察と弁護士という司法ビジネスのトライアングルで、不幸になった人からカツアゲが行われている。

 弁護士は、獲得したい富裕の目標程度にあわせて、仕事の売値を確保しやすい、けっこうなご身分である。裁判官と検察官は国家公務員である。高給取りの公僕が偉そうに「忙しい」などと、口が避けても言ってはならない。
 超超超と超を幾つも並べたいほど超難関の司法試験に合格したということは、頭の悪い僕のような貧乏人に対して、相応の奉仕を行うべき義務があるというものだ。

 などと書くのは簡単だが、裁判官と検察官と弁護士が忙しすぎることは、国民にとって不幸なことである。事件が多いからという意味ではない。ひとつの事件をじっくりやれなくなっていることが不幸なのである。

 法廷で、検察官が立ち上がって「あなたが殺した○○さんをどう思いますか!」と尋問しながら、時計を何度もチラチラ見ているのを、あなたはどう思いますか? 
 彼は、別の法廷で自分の担当している別の公判時間が迫っていた(超過していた)のです。冗談ではない。僕は実際に見ているし、その検察官と話をするために、その後、数時間待たされたので、公判が詰まっていたことは確認できた。

 国民のあいだで広く共有したい優秀な頭脳が、ただの忙しさの克服に使われているということは、なんとももったいない話であろうと僕は思う。

 ともかく、この弁護士のビジネス路線への固執の程度は、人にもよるし、事件にもよる。彼らに後光が射すかのように感じる人もいるかもしれないし、僕でも実際にそう感じることがあるのだが、彼らとおつきあいする段においては、「彼らは裁判職人である」と考えたほうが良い。それがコツである。
 弁護士は、大工さんや料理人と同じ「職人さん」なのである。休憩どきには茶菓子でも差し入れしよう。仕事をほめまくって、金額以上の仕事をさせてやろう。職人は、金銭よりも「良い仕事がしたい」という思いが強いものなのだ。

 さて。医療事件の《原告−弁護士》関係においては、以下の4つの関係を提起したい。それぞれ一長一短。 弁護士に札束を払って、委任状を書いて、裁判をスタートすると、たいていは、どれかのパターンにあてはまることだろう。


1)「弁護士は裁判所へのお使い」型

 所詮、弁護士など連絡係さね。そう考えて原告自身が徹底的に医学書と取り組むし、法律もどんなのがあるかはざっと学ぶ。
 おい、こら先生。こういう文句を被告に言いたいが、法律はどうなっとるのだ? あの文献出したいから、証拠説明書を書いといて。これ書いたから、裁判所に持ってって。変なとこあったら直せよ。ところで、先生。今、戦況をどう見るね? 勝てそうか負けそうか、言ってみい。ん?

 かの「U.S.オフィス医療のページ」のUさんがこの方式で、若き日の橋下徹大阪府知事は、彼女のパシリ(使い走り)であった。
 弁護士はあくまでも「代理」人。裁判のお手伝いさんと考える。

 このパターンは、死に物狂いの原告が、もっとも納得できるパターンである。
 但し、原告の負担は最大限に達するので、人生捨て身の不屈の執念が必須となる。
 医療過誤の原告が集まれば、医師国家試験が解けるというのは、このタイプ。僕も、何問かは自信を持って解答できる。でも、まあ。細かいことはすぐに忘れるのだが。

 僕はこのパターンを重視する。基本的には弁護士を選ばないし、本人の納得という点では、苦労に正比例して諦めもつく。
 とは言うものの、これが可能な原告は限られている。なんせ事件は医療過誤なのだ。勉強したくても、できない状況が多いことだろう。


2)「弁護士は伴走者」おつきあい型。あるいは、競馬型

 ひとりで裁判やるのは、ちと淋しい。一緒にやろうや。というパターン。

勝訴は難しいが、あなたがどうしても納得できない、法廷で訴えたいというのならおつきあいします
 これは、ある弁護士の言葉だが、実に謙虚で誠意ある正直な回答だと思うし、「あんた次第では、やったるよ」という内に秘めた闘志を感じる。

 そうして裁判が始まると、「二人三脚」で闘うことになる。 「二人三脚」は、石川寛俊弁護士のお好きな言葉。 (医療過誤裁判の原告側で超有名な人。ドラマ「白い巨塔」の法律監修)

 まあ、こういうのは原告も大変。お互い宿題が出るわけ。その分、弁護士の責任も軽減。でも、原告自身も裁判に参加しているという実感が味わえるし、それに比して納得も得られる。
《原告−弁護士》関係では、ベストの関係かもしれません。

 けれども、案外とバランスは難しい。原告自身も、当然、およその医学はクリアーしていないと手を抜かれるでしょう。
 このパターンは、どちらかというと、弁護士にとっての模範態度と考えたほうが良いし、依頼者としての礼儀でもあるかもしれない。

 僕は、「専門家を雇う」という意味で、弁護士に少し重きを置いた考え方のほうが良いのではないかと思う。
 だから、この型は「馬と騎手」の関係と考えたい。弁護士は「馬」のほうで、原告は「騎手」のほうである。「馬」というと語感が悪いが、「サラブレッド」と呼べばなんとなくカッコよかろう。

 おらおら。しっかり走らんかい。因果関係の立証だ。どうやってやるのかは知らん。お前考えろ。ちょっとは手伝ってやる。何をしたらいい? おお。反論が出たぞ。いてこましたれえ〜。てな、ところである。


3)「弁護士に丸投げ」全権委託型

 そこそこ適度にやってくれる弁護士。そこそこ弁護士は、可もなく不可もなく、適当に形をこなして勝敗は運まかせ。
 良い人に当たれば、原告の負担はなく、納得さえ出来れば楽ちん。原告が、裁判準備で潰れる心配はない。
 このタイプは圧倒的に多いが、原告が怒りまくるのもこのタイプ。

 原告がどんなにがんばっても、それを無視する弁護士がいる。それは全権委任に慣れた弁護士なのだ。裁判は、素人になんかやれないぜ。あんたは金さえ払えば良い。あんたは書面の書き方も知らんだろー。先生、先生と言われて図に乗ったあげく、手抜きを覚えた始末の悪いのがいる。
 どうしても当たり外れが大きい。ハズレがわかった時点では、時すでに遅し。
 ハズレでも気がつかなければ、それも人生の一局。よろしいんじゃないでしょうか。
 イカンと思ったら、すぐに別の弁護士に取り替えたいが、金はまたかかるし、判断に難しいものがある。

 医療過誤調査は、実際に自分で調べてみるとわかるが、かなりの労力と時間がかかるもの。そんな時間や労力を、弁護士がかけていないのは、明白。

 もちろん、弁護士は頭がいいので効率は良い。判例などの材料もそろっている。経験もある。
 しかし、その頭脳を活用するには、やっぱり補助がいる。どんなに優秀なコンピュータでも、データを入力してやらないと的確な処理はできない。弁護士事務所の姉ちゃんが、そのデータ補助をやってる? んなわけないでしょ。幻想です。


4)同じ丸投げでも、無理矢理「丸投げさせちゃう」弁護士。全権独裁型

「俺の裁判だ。ガタガタ言うな」と、主導権を原告から奪ってしまうのだ。
 こういう弁護士は頼りになる。勝ちにゆく弁護士。原告を傍聴席に座らせて、「まあ、黙って見とれや」というやつ。

 勝率はたぶん高い。これで駄目なら、諦めもつく。
 しかし、絶対数は少ない。 いつもいつも全責任を背負って本気のガチンコ真剣勝負では、身体がもたないからである。

 支援者も「これは俺の裁判だ」と思うようになると本物だ、と言った弁護士がいたが、実際にそこまでやってみると、生半なものではない。自分の趣味として好きでやってることにせよ、もう二度と嫌だ、という気持ちが渦巻くのを止めることができない。


◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 以上、4つの《原告−弁護士》関係を概観した。
 原告として、どのような位置を選ぶかは、あなた次第。どれが良いとか悪いとかは言えない。
 そんなこと言っても、生まれてはじめてやる裁判。弁護士と口きいたのだって、はじめて。そういう人が多いわけで、やってみるまでわからないだろう。
 しかし、自分と弁護士との関係が、どのタイプになっているのかは、注意してみていたい。

 どのパターンであるにせよ、良い関係かどうかのひとつの目安としては、準備手続きや口頭弁論ごとに、進行状態や内容を丁寧に説明してくれることがあげられるだろう。そういう弁護士が良い。説明をしない人なら、それをしっかり要求すればいい。そういう関係にもってゆくのだ。
 弁護士を乗り気にさせるのも原告の腕。原告は良い騎手でありたい。弁護士も人間なのだから、サラブレッドで抵抗がある人は、運動会の騎馬戦でも思い浮かべればいい。そうやって、裁判を闘うということだ。


※次回は、「医療裁判の特殊性」その後、医療裁判での戦闘方法に触れます。そして、医療裁判の費用を概観し、費用の内訳として、具体的な過誤の調査方法と協力医師について。最後に、裁判所への圧力のかけかたを予定しています。