弁護士が断るとき(3)弁護士の生き方

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【弁護士が断るとき(3)弁護士の生き方 】

 本稿は、弁護士「を」断るときと考えて頂いたほうが良いかな。

 弁護士は、依頼人や事件を選ぶ。

 A弁護士は、悪徳病院や悪徳医師の弁護なんかやらない。
 B弁護士は、誰の弁護でもやる。どんな極悪人の弁護でもやる。
 C弁護士は、金持ちの弁護はやらない。
 D弁護士は、金にならない弁護はやらない。
 E弁護士は、正当かつ妥当な主張のみで闘う。
 F弁護士は、どんな手を使ってでも勝ちにゆく。

 
 弁護士の使命としては、B弁護士が正しい。
 弁護は仕事なのだから、D弁護士が正しい。
 裁判は戦闘に勝てば良いのだから、F弁護士が正しい。
 しかし、現実には、A弁護士もC弁護士もE弁護士もいる。

 これらの差は、弁護士の個人的信念の場合もあるし、営業的な戦略である場合もある。依頼者も、そのあたりの見極めが出来ると良いが、ちょこっと会っただけでは、普通はわからない。
 判断基準は、面接したときに、あなたの心を動かす言葉や動作があったかどうかだろう。それにあなたは賭けるしかない。

 これらの生き方は、また、依頼者自身も、裁判中に同様に選択を迫られるときがあるのではないかと思う。


 念のために言うと、弁護士というのは、誰からも好かれて性格のいい先生ばかりが良いとは限らない。
 苦戦する勝負では、あまのじゃくで、性格の曲がった人相の悪い先生のほうが良いことがある。あることを主張したいが、法的根拠がないときなど、いまだかつて判例がないような弁論を思いつく。 圧倒的な劣勢のなかで奇策が出るのは、このタイプではないかと思う。
 だいたい屁理屈でごねまくるのが弁護士の仕事だ。イヤな奴に決まっているじゃないか。わかっていても知らないふりして、「どう考えてもお前が悪いだろう」とやるのだ。信用できる人物とはとても思えない。


 つまり、どういう弁護士と共に闘うかということは、依頼者が、どう納得するかという自身の生きざまに関わってくることなのだ。
 なぜ、こんなことをわざわざ書かなくてはいけないのか、ピンとこない人が大勢いることだろう。それは、裁判をやったことがない人と、しょっぱなから正義の味方のウルトラマンセーラームーンのごとき弁護士にあたった人だろうと思う。


 医療過誤裁判で、裁判中に弁護士を交代させる人は珍しくない。交代させれば、当然、余分に金が必要になる。最低料金は100万円〜150万円です。それでも、二人、三人と取り替える。そのたびに、事件の経緯も一から説明しなけれはならない。それでも取り替える。
 それは何故か? 弁護士が仕事をしないからである。ひどいのがたくさんいるのだ。
 これには誤解も含まれているとは言える。弁護士は「代理人」にすぎないという基本的立場だ。その場合、中味は行政書士だってやれる仕事だが。そういう立場をもっている人が、依頼人以上に走り回ることは、ほとんどいないと思って間違いない。


 しかし、裁判に慣れないうちは、弁護士の交代はよほど慎重にしなければならない。少しくらいおかしいと思っても、それはあなたが裁判の状況を把握していないからなのかもしれないのだ。そして、次の弁護士はもっと酷い最悪の人物かもしれないのだ。 

 残念ながら、医療過誤には幾度となく遭遇しても、医療過誤裁判を何度も経験する不運な人は滅多にいない。その貴重な経験は個人の追憶のかなたへと消え、社会的財産として共有されることはない。ボケナス弁護士は、今日も安穏として裁判所を闊歩するのだ。

◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 これらの弁護士評には、それぞれ思い浮かべる弁護士がいる。なにかと人間関係にヒビが入るので実名は出さないが、ひとつだけエピソードを紹介したい。事実関係は少しだけ変えてある。

 一審の途中で、信頼すべき筋から紹介されたある弁護士に交代させた人がいた。ところが、その弁護士がどうにも仕事をしない。一審敗訴。
 これはまずいと、控訴審を前に僕は別の弁護士を紹介した。その弁護士は、医療弁護の専門ではなかったこともあって、難事件を嫌がっていたが、原告が気に入って説得に成功した。
 紹介はしたが、僕は、内心で、この事件は敗訴すると確信していた。弁護士のほうとしては、あんた、むちゃくちゃやるねえ、ということになるのだろうが、しかたがない。この事件には、絶対に崩せないアンタッチャブルの壁があったのだ。せいぜい和解に持ち込んで1円でも金銭がとれれば御の字。
 この事件は絶対に負ける。しかし、それでは原告は墓場に入っても納得できない。だから、原告の言い分をきちんと聞いて、全てをぶちまけてくれる弁護士が良いと考えたのだ。
 原告の言いたいことを言う、ただそれだけのことが、どうして? と疑問を持たれる人もいるだろうが、裁判の実態はそんなものです。

 控訴審の最終段階で、もう他に手はないかと、担当弁護士には内緒で、別の弁護士のセカンド・オピニオンとサード・オピニオンをとった。セカンドの案は、時間切れ。サードは、打つ手無しという解答となった。
 
 そのとき、サード・オピニオンに選んだのは、一審の最初を担当した弁護士だった。当時は不安になって交代させてしまったが、あの弁護士の言っていたことは間違ってはなかったと、原告も考えるようになったのだ。
 でも、もう全ての戦闘はやり尽くしたように思う、新たな主張方法はもうないだろう、とのことだった。
 そして、最後に、その弁護士は、「亡くなられたご家族の月命日の慰霊は欠かしていませんよ。戒名も伺っておりますし」と言われた。同席していた僕は、驚いたのなんの。事件から10年近くの歳月が流れているのだ。
 どんな宗教かは知らない。しかし、途中で交代させた弁護士が、ずっとその事件の被害者に毎月お祈りしていたというのだ。

 原告は、それを聞けただけで、どれほど心安らかになったことか。
 はたしてこれほどの助言があるだろうか。
 そういう弁護士もいる。世の中まだまだ捨てたものじゃあない。
 

☆次回は、弁護士のタイプ別つきあい方について。