訪問された方々へ

 このブログは、若干3名しか知らないはずなのですが、カウンターをつけてみたら、なんだか、それ以上のどなたかが訪問してくれているようなので、どうやってここにたどり着くのかわかりませんが、関係することどもと何らかの格闘をされている方々かも知れず、はてなダイアリーの仕組みを知るために適当なテキストや写真を張っていただけなのですが、せっかく訪問して下さったのに、全然更新していないのでは申し訳なく、さらに適当に貼りまくることにします。何かの参考になればと思います。
 尚、このブログは、目的が達成された段階で、全て閉鎖して削除します。
 もともと、別の目的で書いていたものですので、これらの草稿は手直しして、改めて別の場所で公開してゆきます。
 草稿の段階のものなので、知識不足による間違いもありますし、不適切な表現や誤解を招く表現が多々含まれております。お気を悪くなされた方が必ずやみえるはずですが、なんとかご容赦くださいませ。

【素人のための医療裁判の基礎知識】
(WEBコラム用原稿 第二稿2009.7.13)
【裁判とは、何か?】

  裁判は、決して「真実の追究」ではない。
  裁判は、真実をめぐる「言論と証拠による戦闘」である。
  弁護士が、「攻撃」や「防御」という言葉を使うのもそのせいだ。

  民事も刑事も同じなのだが、提出されていない証拠や主張は、たとえ真実であっても、審判の対象にはならない。
  裁判官は、インターネットやマスコミ報道を見ていても知らないふりをする。裁判員制度でも、裁判員の「法廷外情報(予断)」が問題になっているのはそのため。

  アメリカ視察ツアーで実際の法廷の見学があった。裁判官の脇に座った日本の弁護士は、裁判官に耳打ちをされたという。
「あの原告の弁護士はあまり優秀ではない。こっちの点を主張すれば原告の勝ちなんだが気付いていない。だから、これは被告の勝ちになる」
  もちろん英語で。

  一般には、裁判官が、事件を調べて審議するという印象があるが、正確には、双方の主張を審議して「主張の勝敗」を判定するものである。
   裁判官は、真実を調べるのではない。出された主張と証拠を調べるだけである。
  もっとも、出された書面を全部読んでいるかどうかは甚だ怪しい。時間が限られているから、超人的な頭脳が必要になるが、超人はそんなにいない。
  ひとりの裁判官が、毎月200件も300件も事案を抱えて、昼間は法廷で座ってて、どうやって念入りに読むね。1件分の書面ですら、片手では持てないくらいの重さなのですぞ。
 
  書面を読まずしてわかる裁判=裁判員制度
  この制度には非常に疑問があるが、裁判が「真実の審判」ではなくて、さらに「言論の判定」どころでもなく、ただの「印象の判定」であることが、これでだんだんとはっきりしてくるだろう。
  キリンさんチームとゾウさんチーム。声の大きいほうが勝ちなんです。
  だから、裁判官は、法廷以外の事実には影響されてはいけない、などといいながら、実は、世論や法廷の傍聴人の多さに、しっかり影響されるのである。

  声の大きさのゲームでは、裁判の中身としては、意見書やその引用文献の量を意味する。
  とにかく、しつこく、分厚く、意見書を作るのだ。分量で圧倒する。そういう作戦がある。 また、逆に、簡潔に同じことを、手を変え品を変え何度も書いて提出するという作戦もある。
  裁判官が、どんな印象を持つかということが大事。つまり、言論の判定といっても、その程度のことなのである。特に、右陪席の反応が重要。そいつが判決文を書く。裁判長ではない。

  民事で出廷しなかったら、相手の主張が全部通ります。真実など一切関係ありません。
  こんな裁判のどこが真実の追究か。

  医療裁判で、真実を調べるのは、原告自身。
  しかも、その主張は、医師意見書によらなければ説得力を持たない。
  だから、医療裁判は、原告にとって圧倒的に不利な闘いとなる。
  弁護士? 調べてるふりだけしてればいいでしょ。いくらでも手は抜ける。
  はい。ほぼ全員が手を抜いています。自分で過誤を調べた原告なら、わかります。

  医療過誤の多くは、素人の直感で「おかしくないか?」「変じゃないか?」といった素朴な疑問から発覚する。それが単なる誤解であっても、誤解から出発した調査が予想もしなかった真実を見つけることがある。やがては自分の直感が正しかったことを知るのであるが。
 
  ともかく、その直感をたよりに、病院に質問をしてみたとしよう。裁判に関わると思われたら最後、全員が貝の口。
  医療の現場にいた人は、みな、嘘つきになる。消防の救急隊、警察、学校施設などの動きがからむことがあるし、一般人(病院の患者、救援者や野次馬)も加わってくることもある。
  見たことを教えてください。それだけでいい。それが拒否される。

  ならば、裁判で口をわらせてみよう、となる。
  ところが、ぎっちょん。誰でも自由に法廷に呼び出して尋問できるわけではない。
  現実には、道理に反するような厳しい選別があるし、証言したいと言っても出させてもらえない。裁判所から要請があっても嫌だと言えば、出なくても良い。
  ここに証人をめぐって双方による場外乱闘も起きる。「証人尋問に出るな」「いや。出ろ」と。
  しかも、法廷で嘘をついても、別段どうということはない。

  裁判は、嘘つきだらけだ。
  自分でカルテと格闘した原告は、それをよく知っている。
 
  原告のIさんが、言った。「裁判は、意地でやるものです」
  裁判は、自らの誇りを賭けてやるものである。